ダイオキシン、環境ホルモン 1

 

巷にダイオキシンなる言葉が飛び交っております。ダイオキシンの含有する野菜、土壌、空気
数値がいくら、いくらまでなら安全か?危険か、サンプリングの問題、データの処理の仕方の
問題、はたまた数値を発表することの是非、誰の為のデータか、何の為のデータか、で公表
される数値のニュアンスが少しずつずれる。データが誰かの手を経て一人歩き始める。
 
そしていつものように、何かのきっかけで、重い腰を上げる、或いはふたをしてたものの蓋をしぶ
しぶ開ける、すったもんだの騒ぎも結構未来の為には良き事ですが、何か忘れちゃいませんか。
 
そうです、ダイオキシン、環境ホルモンの生成の元凶は、我々人類の生活システムそのもの
です。全ての人類とはいいませんが。
 
ごみ焼却場、処理場、の周辺が汚染されている、数値云々もさて置き、自分等の生活自体、
システム自体がエネルギーを浪費し、ごみを多量に排出する仕組みだということを考えなければ
結局そういう施設の周辺の問題とだけなり、なんの問題の解決にもならず、進展もしない。
とりあえず影響が見えないからと、いつもの問題処理手法では、取り返しがつかない様な気が
してならない。取り越し苦労であればよいのだが。

ダイオキシン、環境ホルモン 2

環境ホルモンの言葉が一人歩きをはじめたようです。なんとなく、しっくりしないことばですが、言葉を
もてあそぶだけの一過性のブームで終わらないように願いたいものです。又なにはともあれ環境ホルモン、
的な報道の過剰反応で本質を外れた誤認も避けたいものです。
 
またまたダイオキシンの問題で社会がにぎわいを見せてきました。発表されるデータも安全率も各国の情報も
何一つまともに信頼できるものが有りますか?各省庁の対応も、それぞれの各セクションの思惑で発表される
ものですから各々自分の都合と理屈が中に含まれる、ダイオキシンの元、発生の元、生々される社会システム
そのものには論点が及ばない、ただ今の現象を消すことだけに知恵と理屈を総動員する。
 
確かに今まではそれでもなんとかなってきた、そうやって穴をふさぐだけの、その場しのぎの社会であり、政策、
行政、であり、しかもそれを認め、何度選挙を行ってもそれを追認する社会でもあった。
 
しかし現在はもう、そういう閉塞システムではおさまらないところまで規模がおおきくなった。いつでも私の口癖
ではあるが、自分を変革しないと間に合わない、いつまでも社会のせい、他人のせい、ひとのせいにしていると
取り返しがつかなくなる。ということを私は言いたい。
 
そんな事いって、いまの問題はどうするんだ。との反論も有ると思います、ごもっともです。
でも対症療法は、症状を悪くするだけです。やはり原因を改善する為に、各自の何らかの不都合、不合理は、
覚悟して取り組むべき時が来ているのではないのでしょうか。


 

 

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