よもやま話



1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボランティアと社会
5 環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン

現代のよもやま話です。限りなく取り止めの無い、限りなく焦点の無い、浅はかな失言もかなりの頻度で出現しますがお付き合い下さい。




1 微量元素不足

1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボライティアと社会
5 環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン

人間の情緒不安定、味覚異常、異常行動、等々の現象が多々見られるようになったのが単なる社会現象や流行でなく人体内の微量元素の過不足が原因の可能性があるようです。

素をただせば生活環境、食生活の変化による微量元素の摂取不足が人間の行動異常を引き起こしているようです。亜鉛不足、鉄分不足等も体内のメカニズム異常をきたし或いは脳内細胞の異常反応を引き起こしてしまう可能性があるようです。






2社会現象と食生活の関係

1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボランティアと社会
5環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン
1の現象に引き続き現代の生活環境そのものが動植物の生態リズムを無視した異常環境になりつつあり、なおかつ食生活の摂取環境が自然のメカニズムを無視した状況になりつつあることは憂慮しなければなりません。しかしこの社会現象そのものは人類自身が気づき、個々に実践するしか対処の方法はないと思われます。自分たちが狂わせてきた順に訂正してゆくしか方法はありません。変な小細工でいっぺんに手直ししよう等と思うとまたそれに対して弊害が現れてきます。楽で簡単な方法など無いのです。



3遺伝子工学、遺伝子操作そして食物

1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボランティアと社会
5環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン

この世に発生してからまだわずかな歴史しか刻んでいない人類が、知り得たそのささやかな知識と、ほんの少しの技術で、さも地球の支配者であるかのごとく思考と行動が見られるようになってきました。

自分に都合の良いこと、便利なこと(じつは現時点でそう思えるだけ)、防虫、耐病、美味、収量、の為等や、病原菌に対する遺伝子操作治療など、少なくとも実験室での操作実験の回数の二乗倍、三乗倍あるいは想像を絶する回数で、自然のメカニズムは、実験、シュミレーションを繰り返しているものと思われます。

新種発生の頻度も、耐性菌発生の頻度もとても人類の研究室内の実験で太刀打ちできるものではない、いやむしろ人類の浅はかな操作が、自然のシュミレーションの絶好の引き金になっているのかもしれない。

そもそも生命システムの解明、操作、技術の開発、応用などの必要性が、本当に有るのか、それが人類の未来にどれほど有用であるのかは解らないが、少なくとも現在までの人類の経過を見る限り、良かれと思って進んできたことが必ずしも人類の幸せに結びついていないことも確かである。

まあ無知な想像は適当にしておいて、とにかく、遺伝子組み替え食品などの、安全性を確認済 などと厚生省などの無責任な公表は止めてもらいたい。これから20年先、50年先に何が起こるのか、起こらないのか、誰も解らないし確認も出来ない。こういう新技術のからむものは表示義務を厳格にして選択は個々の消費者、と言うより社会に選択してもらうのがよい。

公的機関なるところは、今となっては己の自浄能力が欠如し本来の目的を達成しうる能力は期待出来ないでしょう。ちまたの出来事(氷山の一角とおもいますが)、予算配分しかり、許認可制度しかり、何か信頼できる事、信頼できる物、有りましたか?表ざたになった出来事だけでですよ、裏や影では想像を絶するドラマが延々と繰りひろげられていると思いますよ。それぞれ、我が一番と思いながら。

欲とプライドの固まりと成り果てた公的機関の、或いはそれに群がる取り巻きの面々に自分の暮らしや健康を委ねるにはかなり勇気と捨て身の覚悟が必要です。そんな処、そんな方々に純粋な判断能力など期待すること自体まったくおめでたいことです。そういうやからに安全性などを保障や確認などしてもらいたくは有りません。


4 ボランティアと社会

1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボランティアと社会
5環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン

ボランティアの話題が頻繁に聞こえるようになりました。これも一種のブームでしょうか。政策の欠陥を、行政の人員不足を、非効率を補う為?。或いは自己満足の為?。

きっかけは何であれ個人の純真、純粋な精神から発した行動を何かに利用すると言う、なんか、いかがわしい発想がまたぞろ、でそろってきたようです。

ボランティア活動を入学試験、入社試験などの評価の対象にするとか、内申書に記入欄が出来るとか、ボランティア休暇制度が出来るとか、…でんでん。なんでいつもこんな発想なんでしょうか。

いつの日か、我が国お得意のボランティア認定機関なんだらかんだら等々が出現し、はては、ボランティア参加時間認定証なるものも出現する。しまいには認定してもらう為のノウハウがちまたに飛び交いボランティア監理士なんてものが出来ちゃうかもよ。ボランティアの評価をしてもらう為日夜有意義、無意味!な生活を送る国民が多数出現し、はては、いったい、!こりゃなんだ!ということになる。

ボランティアする人=良い人、しない人=悪い人なんて人間評価の材料になり下がり、本末転倒の履き違え人種が増えるだけでは、本当に…とほほ…ですね。ボランティアとは、いったいなんだ。

何の為。誰の為。では無く、心の底から沸き上がる自分の純粋な気持ち、自己の成長。ただそれだけ、そして、それが全て。



5 環境に対する人間の位置

1微量元素不足とホルモン異常
2社会現象と食生活
3遺伝子操作と食物
4ボランティアと社会
5環境に対する人間の位置
6ダイオキシン、環境ホルモン
人間が環境に対してどこまで操作できるのか、やってはいけないのか。

NO3の遺伝子操作しかり、各種医薬品と病原菌との耐性いたちごっこしかり、分別単一種の保護による弊害の発生など、また有用益虫、動物と思われ導入した種の異常繁殖による弊害等々数えあげればネタに事欠かない現実。

これらの事象はどれもその時点では”よかれ”と思い”有用”だと思って行ったことでした。帰化植物の駆逐などもこれらに属し、世界的にも種の保存の観点から論議がなされています。

しかし植物に在来種、帰化種などの別名を授けたのは単なる人間の仕業で、植物、動物などは地球上の繁殖、生育しやすい場所に、言い換えれば居心地のよい場所に勢力を振るって種の本能を実行しているに過ぎません。国境とかの線引きや分類とかは人間の仕業で動物、植物当人たちには関係ありません。

人間の行動が、それらのなんらかのきっかけになったのは事実でしょうが、それらとて動植物にしてみれば単なる地上の自然現象を利用したことにほかなりません。

食材としての野菜、ハーブ、薬草、そして手におえなくなれば雑草と呼ばれる。植物当人にしてみれば野菜、薬草、雑草などの拝命のどれをとっても、いらぬおせわ、頼んだ訳でも、望んだ訳でもありません、まったく人間の勝手な分類であり、仕分けです。しかも右も左もわからぬ人間の、今現在の身勝手な価値判断にもとずいた短絡的な愚考とならなければよいが。

なんら結果も予見できず、ただその時の単純な価値判断で、いいの、悪いのといいながら自然のシステムをいじくりまわし、そのはてはどうにも対処できない事態を引き起こす。そのときは世代が代わっているでしょうが。

そして歴史に残る愚考とならなければよいが。




 

 

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